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第10話|ちゃおちゅ~るに駆け寄る猫ほどの勢いでダークサイドへと堕ちていった

旧号

前説

やあ読者諸豚ごきげんよう。

早速だが一つ質問したい。最後にあなたが泣いたのはいつだろうか?いやいや、そこまで真剣に取り合わなくて結構。巷に溢れる質問の大半がそうであるように、これもまた自身の話を切り出すための前置きでしかないのだから。

そういうわけで、僕の話をしよう。だがその前にもう一つ質問したい。あなたはクラナドというアニメを見たことがあるだろうか?
無論、これも単なる前置きでしかない。

そういうわけで、改めて僕の話をしよう。と言いたいところだが、ここまでお読みいただけたのであれば、このあと僕が何を書くかはきっともうお分かりのはず。つまり、これ以上何を言ってもそれは蛇足にしかなり得ないということだ。

そういうわけで、僕の話はこれで以上となる。ただ、最後に一つだけ。
クラナド2期の第18話こそ人生。

本編

2023.01.10

公園のベンチに座りぼんやりと空を眺めていた。あの空全部が一気に降りてきて、この世界丸ごとぺっしゃんこにしてくれたらどんなに爽快で愉快だろうなどと思いながら。

希望を失った人間が次に願うこと。それは破滅、ただそれのみである。僕もまたその公理に従って、ちゃおちゅ~るに駆け寄る猫ほどの勢いでものの見事にダークサイドへと堕ちていった。

「いやいや、お試し移住施設の予約が埋まっていたぐらいで何をそんなに大げさな」と今あなたは思ったかもしれない。隣の芝生が青く見えるように、隣人の苦悩もまた小さく思えるものだ。だからその意見は完全に正しい。

行動力のない人間のハートは羽ありのように脆くか弱い。元々ない勇気をどうにかこうにか振り絞り、結果見事に撃沈したときそういう人間は大抵このようなことを考える。すなわち「慣れないことはするもんじゃない」「どうせこんなもんさ」「神なんていない」等々。

読者の中には「おやおや、自己弁護もそこまでにしておかないとポアですよ」とフリーザのような冷静さでもって穏やかに憤っている方もいらっしゃることだろう。もちろん喜び勇んでかつ甘んじて受け入れよう。それでも懲りずになお僕は書き続けるだろうし、あなたもどうせきっとその続きを読まずにはいられない。それが人間の性というもの。その葛藤と渇望こそすなわち物語の両親である。

どうかご安心を。読者同様、一体何の話をしているのか僕自身よく分かっていない。SpotifyのDeep Focusを流しながら気の向くまま指を動かしていたら気付けばこうなっていた。

そんなわけで、ここまで千字近くも費やしておきながら全く進展らしい進展もないままのらりくらりとやって来てしまったが、悪気もなければ悪意もない。だからこそ余計に悪質であるのかもしれないが、悪癖である以上その点どうか悪しからずご了承願いたい。と、悪態をつくのはここまでにしておいてぼちぼち話を進めるとしよう。たとえそれがもう悪足掻きの範疇にあったとしても。

*****

家に戻るとすぐに原稿に向かった。気分転換になればと思ったが全く書き進むことなく、それがさらなる憂鬱の種となった。カフェに行く気力さえなく、もはやベッドに横たわる他なかった。

もっと早く行動していたらと後悔するのはこれでいったい何度目だろうか。うさぎとかめの寓話で例えるならば、スタート前から眠り始めるかめのようなものだ。完璧に自分が悪い。まさに自業自得。だからこそ余計にやり切れなかった。

ダメ元で一通のメールを送ってから早々に眠りについた。

そして夜が明けた――。

「いいですよ」
山ちゃんからの返事はいつも通りケロリンとしたものだった。

ダークサイドの淵から抜け出るにはそのたった一言だけあれば十分だった。空が降ってきてこの世界をぺしゃんこになどと願う陰気な自分はもうどこにもいなかった。冬の青天のように澄み切った心だけがあった。

こうして僕は1月16日から一か月間、わがらん家に宿泊させてもらえることとなった。当時の日記にはこう書かれてあった。

人とのつながりがすべてだ。筋金入りの人嫌いである自分が言うのだから間違いない。とにかく人は一人では生きられない。何かしら他人の世話になっている。試しに食卓を眺めてみるといい。全て誰かの手によって作られている。

ようやく人生が始まる、そんな予感に酔いしれながら来たるべき日をじっと待ちわびた。とはいえ、皮を剥かれるリンゴのようにするするとみるみると瞬く間に日々は過ぎていった。そのあっけなさ、まさにおっパブのショータイムが如く。

そして迎えた当日の朝。両親にしばしの別れを告げ、再び僕は聖地・ブッダガヤを目指す心持ちで熊野市駅を目指した。

次号へ続く。

後記

かわいい子には旅をさせよと言うが、どうせならば一緒に旅をしたいもんである。旅という流動的なものから恋という固定的なものが生まれる、もしかしたらそんなキテレツなことが起こる可能性だってあるかもしれない。

でも旅をしない限り、可能性は確実にゼロだ。こればかりはシュレディンガーの猫ちゃんだってどうすることもできない。

旅といっても色々ある。どこかへ行くことだけが旅ではない。考え方次第では代わり映えのない日常でさえ立派な旅となり得る。

旅とは出会い、出会いとは人生、人生とは旅。

その間をぐるぐると回りながらやがて旅を終える。そのとき、あなたは何を想うだろう?少なくともそれが「あの空全部が一気に降りてきて、この世界丸ごとぺっしゃんこにしてくれたらどんなに愉快で爽快だろう」ではないことを切に願うばかりだ。

●読後のデザートBGM

次号はこちら。

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