このサイトには広告が含まれています

第8話|親知らずを抜くのと片桐はいりで抜くのどっちがいい?

旧号

前説

やあ読者諸豚ごきげんよう。早いもので、この移住記を書き始めてから2か月が経った。まさに口淫矢の如し。さあさ想像してごらん。

3話ぐらい書いたらぽいっと投げ出すだろうと思っていたが、案外そうとならず自分自身驚いている。これほど何かを継続できたのはおそらく中2のセノビー以来のこと。結局背は伸びなかったが今となっては良い思い出である。

そんなわけで「もし完結できたらあの娘にプロポーズするんだ」とフラグを立てつつ、本編へ。

本編

2週間後、とある白い施設にて。奥歯をガタガタ震わせてわななく僕の姿がそこにあった。アウル・クリーク橋の上に立つペイトン・ファーカーのような心境で「その時」を静かにじっと待っていると、一人の女性がふらりとやってきた。

さっと立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。目に映るは泡沫のように現れては消えゆく数多の思い出たち。中2のセノビーと同じぐらいしょうもない思い出さえ、過ぎてしまえば煌めきのダイヤモンド。

ああ、まったく良い人生だった。もう何も思い残すことはない。

処刑台を目前にして「もはやこれまで」と覚悟を決めたその瞬間、バチンと室内の電気が一斉に消えた。混乱する周囲をよそに僕はひどく冷静だった。瞬時に上体をかがめて踵を返すと一目散にその場から逃げ出した。そのまま廊下の突き当たりまで進み、重々しい扉を勢いよく蹴り開けた。追ってくる者は一人もいなかった。

「やったやったやったぞ!これで自由の身だ!よし、あのときあいつに言えなかったことを伝えに行こう」
それから僕はあの娘の家を目指して丸一週間、飲まず食わずで走り続けた。ついにその家が見えてきたとき、僕はその安堵感からつい足を止めてしまった。その瞬間、底なしの疲労感が容赦なく僕を飲み込んだ。

そこからの約100メートルは、これまでの道のりの何十倍にも遠く感じられた。砂漠の中の湖を目指すような不毛さに襲われて、もはや走ることも歩くこともできなくなっていた。下校中の小学生たちに棒切れで突っつかれながらも、それでもなお僕は必死に地面を這い続けた。

どうにかあの娘の家まで来ることができた。壁に寄りかかりながらやっとの思いで立ち上がると、震える指先で呼び鈴を押し込んだ。

玄関先で彼女が目にしたものは、ぼろぼろのポロシャツを身にまとい、ズボンを靴のところまでずり下げてにこやかに笑う単なる変質者だった。このとき彼がもし「いやー、空襲直後にいつものあのタイムリープが発動しちゃいましてね」と言ったら、彼女はきっとそれを信じたに違いない。だが彼はその代わりに「僕と結婚してください」と言った。彼女はこの世のすべての憐れみを凝縮したような眼でじっと彼を見つめていたが、そのうちふと何かを思い出したように玄関扉の奥へと消えていった。

間もなくして彼の元に警察がやってきた。彼の記憶はそこでぷつりと途切れた。次に気付いた時には真っ白な部屋の中だった。彼はまたかとつぶやき、それから思い出したように奥歯をガタガタと震わせ始めた。示し合わせたように、そこへ一人の女性がふらりとやってきた。女性に導かれながら暗く長い廊下を歩く。

処刑台の前までやってきたとき彼は「もはや――

「はーい。それでは始めましょうか」
「え?あ、はい」

白昼夢よりも一層始末に負えない現実がそこにあった。僕は恐る恐る口を開けた。かくして白昼堂々、歯刑は執行された。僕はその日、右側上下2本の親知らずを抜いた。痛みは微塵もなかった。あれほどびびっていた自分をひどく恥じた。

その1か月後、左側上下2本も抜いた。
「やったやったやったぞ!これで自由の身だ!よし、そうだ。あのときあいつに言えなかったことを伝えに行こう」

玄関先に現れた彼女に対して僕はこう言った。
「親知らずを抜くなら一般歯科ではなく口腔外科でね。その方が痛くないから、ね!」
それからにこやかに笑ってみせた。

彼女は冷ややかにかつ吐き捨てるようにこう言った。
「ご高説を垂れるなら全裸ではなく着衣でね。その方が痛くないから、ね?」
それから案の定、通報した。
長い長い留置場生活を終えたときにはもう、12月になっていた。

次号へ続く。

後記

※このフィクションは物語です。人物の実在や関係等とは団体ありません。

●読後のデザートBGM

次号はこちら。

 

コメント欄

タイトルとURLをコピーしました