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弱さを認める強さ

個人ブログからの自選シリーズ。

ある本を読んだことで自分がいかに猜疑心や虚栄心や不安に苛まれていたかに気付くことができた。そして改善すべき点が無数にあることも。

いつもなら何かそれらしい言い訳をつけてその現実から逃げていたはずだが、今回は逃げる隙も与えられないほど完膚なきまでに打ちのめされた。ここまで完全にやられるともはや清々しさしかない。

なぜこれまで逃げてきたかといえば、認めてしまったらもう二度と立ち上がれない気がしたからだ。でも実際は違った。悪いところは直そうと単純にそう思うだけだった。

私は私自身を見誤っていた。守ってやらないといけないぐらいか弱い存在だと決めつけていた。だからあらゆる脅威から自分を遠ざけてきた。逃げ切れると本気で思っていた。そして逃げ切った先には楽園があると信じて疑わなかった。

しかしそこで待っていたものは絶望だった。自分自身、他人、将来、社会。この世の物事全てに対する底なしの絶望。悲観や拒絶が混じったどす黒くてどろどろとした、やり場のない感情が常に心の中で煮えたぎっていた。

この時に私が取った行動は他人の同情を買うことだった。自分がいかにみじめで不幸かを訴えた。つまり「本当はこうありたいが外部要因などの不可抗力によってそれが妨げられている」と自らを脚本づけた。

効果はばつぐんだった。他人は惜しみない同情を与えてくれた。しかし何の慰めにもならなかった。それどころか余計惨めになるばかりだった。私は私自身を静かにゆっくりと死に至らしめていたに過ぎなかった。

こうして貴重な二十代は嘘と保身と自己憐憫によって塗り固められていった。

今となっては後悔しかないが、過ぎてしまったことはどうにもならない。とにかくこれからだ。今この瞬間からやり直したとしても遅すぎることはない。残された人生において今日より若い日はないのだから。と、借り物の言葉で締めたことに対して早速後悔を感じている私は、全く憐れなピエロ豚野郎。

もう後ろを振り向くことはしないし遠い先を見ることもしない。それらは全て幻想。確かにあるのは今この瞬間だけ。自分の弱さを認められるそんな強い人になれるように。

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