
個人ブログからの自選シリーズ。
土曜の昼下がりはベローチェがよく似合う。穏やかな時間が流れてこの時ばかりは何の憂いもない。私たちはコーヒー豆のようなものだ。コーヒーになる以外に用途はないという意味において。
パソコンを開きまたいつものように浄化作業を始める。ベローチェの椅子は硬い。でも次第にそれがケツの感覚を麻痺させて独特の高揚感を作り出してくれる。そのとき私は灰になる。ああ、間違えた。ハイになる。
物語の中ではTと彼女が未だに喧嘩をしている。私はその様子を間近で見ている。それでも手を差し伸べることはしない。ただ思想に耽っている。これほど薄情なこともない。
そういう点では、全ての小説家は薄情だとも言える。別に私が小説家だと言いたいわけではない。なれる気もしないし、なる気もない。
彼らの争いはいずれ終わるということを今の私は知っている。余裕があるのはそのためだ。翻って当時の私はそわそわどきまぎしていた。まるで武器も与えられぬまま戦場の真っ只中へ放り込まれた一兵卒のように。
私たち一人一人の存在がすでに物語だ。要するに物語が物語を創っている。何と滑稽な話だろう。それでも私の手が止まることはない。あわよくば太陽をつかめたらいいななんて夢想しながら。
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