個人ブログからの自選シリーズ。
人生は選択することで作られてゆく。
そこでふと思った。選ばれなかった方はその後どうなるのだろう。そこで行き止まりか、はたまた分岐してその後も続いていくのか。
私は今日この文章を書くという選択をした。でももし明日書くという選択をしていたら、今ここには「この文章を書かなかった私」が存在することになる。その私のことを私は全く知らない。それでも私であることに変わりはない。
今もどこかで「じゃない方の私」が呑気に生活しているかもしれないと思うと何だかおかしな気持ちになる。
でもよくよく考えてみれば、私はここにいる私こそ本物だと勝手に思っているけどそれを証明する術はない。どこかにいる本物の私がそんな私を遠くから観察して笑っている可能性だってある。
すべてが一つだとするなら、その「本物の私」とは神に他ならない。そして今これを読んでいる奇特なあなたも神だ。あなたが神で私も神だとするなら、あなたは私で私はあなたということになる。つまり、あなたはあなたであり神であり私である。
何も別に私は気が狂ってそう言ったわけではない。むしろ私は、神だと主張するような人間を見るとうわっと思ってしまう側の人間である。それでも神という言葉を選択した。
ではそれを選択しなかった場合は?
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