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仕事人間の末路

仕事人間から仕事を取ったときそこには一体何が残るだろう。それは無気力だ。

親父は突然の大病によって60歳目前で仕事を手放す羽目になった。それから5年経った今もその状況を受け入れられずにいる。そして仕事がしたいとばかり嘆いている。

では仮に親父が仕事を得られたとする。それで一切の不満がなくなってめでたしめでたしかというと、きっとそうではない。それによって新たな不満が生まれるはずだ。給料が少ないだとか、朝起きるのが面倒だとか、あいつが気に入らないだとか。

不満を言う人は実際のところ、何が不満なのかが分かっていない。だからこそ不満を言う。満たされない気持ちは確かにあるので声を上げずにはいられない。そして何かを得られればそれが解決すると思い込んでいる。

親父は今自分が置かれている状況をどうしようもなく不幸だと思っている。でも本当にそうだろうか。あくせく働く必要がない、毎月一定の収入がある、一日中好きなことだけしていられる。見方を変えればそれは現代人が求める理想の暮らしそのものではないだろうか。

退院から一年後、親父は縁あって仕事の機会を得た。しばらくは続けていたがそのうち行かなくなった。欲しかったものをようやく手にしたにも関わらず、あっさりとそれを手放してしまった。

親父が真に求めているのは他人から必要とされることだ。それをただ仕事と履き違えているに過ぎない。何も親父に限ったことではない。定年を迎えて毎日家でダラダラと過ごしている人の大半がきっとこれに当てはまる。

個人ブログ自選その85
2022年10月19投稿分より


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